県道21号線に出ると左手(西側)に低い丘陵が連なり、その裾に沿ってガードレールが白く光って見えます。村田川は、農業用水路となってそのガードレールに沿って流れているのです(写真上)。田んぼが道路に沿って丘陵との谷間に広がっています。
この21号線を少し走ると金剛地公民館があり、その先に「金剛地火の見」というT字路の交差点(写真右)に出ます。
21号線は左(西)へ曲がり、丘陵を上って五井方面へと向かっています。道なりに進むと土気方面になります。
ここまでの間に村田川も何時しか道路下を横断し、右手の小さな山に沿って流れを変えていて田んぼも右に広がっています。
川に沿って交差点から土気方面へ向かう県道132号線を進みます。500mほど進むと、農道へつなぐ小さな橋が水路に架かっていました。
その橋のプレートを見ると「音無川」とあります。
この農業用水路は、村田川からここでは名称が変わっていたのです。橋の名は「堂の下橋」とあり、側に記念碑が建てられ、不均一だった山間谷津の地を区画整理したとありました。水利組合が平成18年に河津桜を記念に植樹していました。
水路は山の裾に沿い谷津田の右へ左へ位置を変えながら続きます。
丘陵のトンネルから出て高架橋となって横切る外房有料道路があり、その下を走って、あすみが丘南の交差点を過ぎると大椎(おおじ)町という所に入りました。
川に「大椎橋」が架かり、ここのプレートは村田川になっていました。
大住宅地のあすみが丘の中にワンハンドレッドヒルズという大邸宅の並ぶ一角(写真中央上)があります。一時、週刊誌などで立派な邸宅の様子が取り上げられました。その高台の下、西側をかすめて流れます。
農業用水路から姿を変え川らしくなって流れ、低い丘陵に沿いながら集落の中に入りました。
大木戸という地区に入り、村田川は集落を抜けます。大木戸橋という10mほどのコンクリート橋が架かっています。
この橋までは村田川は姿が見えません。大椎町から少しの上り下りを繰り返し、道を地図で確認しながら進み大木戸の点在する住居の中に橋が現れたのでした。
大木戸橋を渡ると丘陵の北斜面が広がり、明るく感じます。上の方にあすみが丘と外房有料道路の大木戸インターをつなぐ道路が走っています。
川は再び木々に遮られ見えなくなりました。
農道を見当をつけながら進むと、橋を見つけました。町田橋とコンクリートの欄干に刻まれているのが読み取れます。
この道を辿ると集落の生活道路に出ました。そこから大橋と名の橋を通ります。
ここは大木戸町と越智町の境であることが地図で分かりました。
川の両岸は相変わらず木々に覆われ、なかなか水面が見えません。
たまに見える水面は生活廃水が流れ込むのか灰色に見えます。
越智町のはなみずき台という住宅地の下に出ました。
この団地の遊水地を兼ねる大藪池から水路が道路下を横切っています。
水路は村田川に流れ込んでいました。
約500メートル弱をほゞまっすぐに流れ下っています。そして直角に村田川に入っていました。
村田川は、田んぼの向こうの台地の縁を流れています。木々に覆われ流れは見えません。
ここで大藪池からの水路に沿って歩き、合流地点へ向かいます。
木々の覆いかぶさる下に水面が見えました。左側が流入する水路で正面が村田川になります。
再び田んぼから道路に戻り、辿って行きます。道路は川を大きく迂回しながら進みます。山際を道路が通り、谷津の底を田んぼが広がっています。
本高谷(ほんこうや)橋という所に出ました。村田川は、このあたりで北西にクネクネト進んできた流れをほゞ西へと方向を変えるようになります。
山が狭まり、道幅も狭く小さなアップダウンで散在する集落の中を過ぎると外房有料道路が山と山の間を高架で走っているのが見えました。
開けたところに出て田んぼが広がっています。やっと川も見えます。田んぼのあぜ道を川に近付き、水面の様子を眺めました。何も生き物はいませんでした。
川に沿って行けません。農道は川から離れ丘陵を上っています。向かいの北側の丘陵との間に田んぼが西へ向かって続いていますが、通れないないのです。
高田という地名を通って県道に出ました。県道の左右に田んぼが広がり北側丘陵から村田川が寄り添うように並行してきます。(川崎橋から)
県道に寄り添ってきた村田川は新瀬又橋に達しここで川に沿って走れるようになります。
上流域ではなかなか村田川の姿を見ることが出来ませんでした。谷津の田んぼに水を供給し、山すそを流れて行きます。両岸は竹林や草、木々に覆われていました。
再びここから川の姿が見えます。
村田川を源流から瀬又交差点までを上流域、と自分で勝手に決め、ページを作ってきました。つれずれなるままに自転車で、どうなっているのだろう源流は?と探索してきました。見に行くと、ほゞ源流は人工物、つまり水路によって始まっていました。ここが最初に水が流れ出すところだというイメージを持っていましたが、房総の低い丘陵からは、それは望めないものでした。丘陵の山林から谷津へ集合した水が、いつしか細い流れになって村田川をつくっているのでしょう。全体像のほんの一部が分かったような気持ちにさせられました。