水辺は人を癒してくれます。池、河川、浜辺などの傍らに佇むと、ぼんやり風景を眺めることがあります。
散歩の道筋にそうした水辺があれば草花や鳥、魚などへ自然に目がゆき愉しさは増します。
よく近所を散歩したり、自転車でポタリング(散歩)しますが、水辺はいつでも愉しいものです。
そうした散歩(走)する水辺の風景を取り上げてみました。
桜と冬枯れの水辺。アシやガマの穂が刈り取られ水面が見渡せる大百池
家の近くに「大百池」(千葉市中央区南生実町)と云うところがあります。私の住むおゆみ野地区が開発された際に、ため池であったところを中心に公園として整備され平成9年3月に完成しました。広い池と、わずかな遊具のある広場、そこに隣接する駐車場がつくられました。四季を通じて、天気の良い日には親子連れが訪れています。隣接してショッピングセンターもあるからでしょう。私もよく散歩します。
池では、カルガモ、バンをよく見かけます。約20種類の鳥が訪れると紹介しています。
池だけでなく東にある台地を含め「大百池公園」(面積約10.7ha)と呼んでいるようです。池は、公園の5分の1だそうで周囲約700mほどあります。
台地は、京成電鉄の千原線を挟んで東側にこんもりとした小山の森があります。3方向から登る道が付けられ森を散策できます。ここには約3万年前から平安時代までの遺跡があり「城ノ台遺跡」と紹介されています。また、台地東に城の土塁や虎口(こぐち)があり、戦国時代に城があったのではないか、と千葉市教育委員会の説明板にあります。(写真は台地への上り口)
池の水は、約2km東の「泉谷公園」(下の地図参照:ポイント2)から遊歩道「おゆみ道」沿いに造られた小川(水路)で運ばれてきます。
(写真は扇田小学校ヨコの水路と桜並木)
千葉市教育委員会設置説明板より抜粋しますと、
古代、この地域は麻績(おみ)氏が開発し、麻布を生産するため、この池で布をさらしたことから、この池の名称が付いたといわれています。
中世には千葉氏の一族、原(はら)氏が上総(かずさ)方面の守りのため西側台地上に小弓(おゆみ)城を築くと、城(じょう)ノ台(写真)や芋ノ作の谷津とともに城の防御の要所となりました。字上赤塚には、縄文時代の上赤塚貝塚や古墳群も所在しています。
池水は古くから南生実の耕地900石の潅漑用水の貯水池となって、住民に大切にされてきました。
…と掲示されております。
よくわからない説明ですね。どうして「おみ」が「おおど」になったのか。
また、市史では、大百池村の大百池が1652年の記録にあるとのことです。(写真は大百池を囲む桜並木)
初夏を迎え水辺の葦は葉をのばしはじめ青々としてきました。
あひるが忙しく水面をうろうろしています。求愛の季節でしょうか。その側を子供たちが釣り竿を手に場所を探して水辺を駆け回っています。この大百池には岸辺に「釣り禁止」の看板が出ていますが、大人も無視して楽しんでいるようです。
夏に青々と葉を茂らせていた葦の群生は、冬を迎え12月ともなると茶色く色を変え、寒々しい風景に変わってきている。
冬を迎え大百池の蒲も枯れ、穂から大量のワタゲが飛び立ち、池の周囲に降り積もり、まるで雪のような様相になりました。今年は状況がすごく、池の南側は水面と地面が白くなりました。風が無い日が続いたからではないかと思っています。(2013-12-30)
大雪の翌日、大百池も白くなり、いつも目にする光景が変わりました。雪は、犬も子供も駆け回る楽しさを与えてくれるようです。雪国ではないからでしよう。犬を散歩されている方は引かれ、小走りについてゆきます。水面が凍ってバン(鳥)がその上をヨチヨチ歩いていました。(2014-2-10)