大百池の風景 |
村田川の風景 |
支流村田川 |
神崎川 |
瀬又川 |
本川の下流域 |
本川の中流域 |
本川の上流域1 |
本川の上流域2 |
都川の風景 |
都川下流域 |
都川中流域 |
都川の上流域1 |
都川の上流域2 |
都川の上流域3 |
支流:支川都川 |
支流:坂月川 |
支流:葭川 |
六方都市下水路 |
湧水のある風景 |
水辺のスナップ#1 |
スナップ #2 |
スナップ #3 |
都川の上流域の本流と思って辿って行くと、支流(西部支線)でした(その1)。本流・支流を再び探してみました。そこで支流の二つ目「東部支線」を上流域「その2」として、たどってみます。行き着いた先が同じく緑区(千葉市)の万花台という地区でした。写真下のように谷津を上ってきた水路が覆蓋され見えなくなりました。東部支線(支流)はここで周辺集落の雨水や汚水を集め都川の本流へと流下させるのでしょう。
万花台バス停から北へ200mほど入ったT字路で水路は覆蓋され消えた
都川の上流を辿ってゆくと高根橋からコンクリートの水路となり、次に石積みの土手となり上流へ向かいます。流れが田んぼのなかや丘陵際をかすめて延びて行き、緑区高田町で右岸から小さな流れが曲線をえがき合流して来ます。東部支線です。
手前の本川に支流(東部支線)が合流(正面)
上の写真で小さく車が走っている道路(バス道)の下を流れ、本流へやって来ています。東部支線とされる水路です。右の写真は、そのバス道路下をくぐり抜けた水路が谷津の奥へ伸びています。谷津の小さな流れをたどって行きます。
「高田」バス停がこの水路の側にあります
谷津の幅は、少し狭まってきたり、広がったりしています。上流へ向かう水路の幅も一定ではないようで約1.5mほどから2mほどに広がっているところもあります。水路はやがてコンクリートが白く、まだ建設して間もないことがわかる。
柔らかなあぜを歩きいま来た水路を振り返る
進んでゆくと水路はさらに新しくなり、幅も広がっていました。遠くに重機が見え、水路を作っている現場がありました。千葉県が行う都川整備の一つ「県営ほ場整備事業」が実施されているのでしょう。「ほ場」とは、はたけを意味しています。
右岸の丘陵際に沿って新しい水路が上流へ
水路の工事現場からさらに先では、未だ造られていませんでした。左岸の丘陵に沿っておよそ1m幅の水の流れがあります。広い畔となっている土手は、よく手入れされ、きれいに草が刈られています。反対の丘陵際に道があり進みます。
水路になっていない小川の様な支線
谷津の幅は50mほどに狭まり谷津奥に近付いているようです。左岸側の道を進んできて、対岸の丘陵際にコンクリートの枠が見えています。これまで石積みの護岸であったものが、その先はコンクリートブロックの水路になるようです。
左岸側から対岸の丘陵の際を流れる支川
近づいて見ると古いコンクリート枠で覆われた水路になっています。上流へ向け、山際を枠組みが延びていました。夏場では、雑草に覆われこの水路がはっきりとは見えないのではないだろうな、などと思いながら道に戻り、たどって行きます。
流れを覆う古いコンクリートの枠が見える
両方の丘陵が一つになり半円をえがく谷津の奥に達し、いま来た方向を振り返る。整備された田んぼから、雑草におおわれた休耕田の横を水路が延びてきている。地形の傾斜に従い上ってきた水路は、道路に沿って90度でカーブしている。
谷津の最奥に達した水路は傾斜を上って行く
東部支線といわれる水路を辿ってきて、その先は覆蓋され、見えなくなってしまった。この先の地域の住宅地からの雨水などを受け入れ、流れ下り都川本流へと向かうのだ。3本の支線のうちで、この東部支線が少し距離が長かった。
谷津の奥で水路脇に「左岸No52」の標識
東部支線の地図