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都川の河口を跨ぐ青く塗られた水管橋、並行してその横をJR京葉線が走っている

都川下流域の風景

 都川の河口に架かる「寒川大橋」の西詰、右岸側から自転車でゆるりと上ってゆきます。出発点の、この橋を渡る国道357は、西から東の市原方面へと進み千葉市境の村田川で名前を変え国道16号線となり、東京湾の房総半島内房を富津市へ向います。橋と並行するJR京葉線は、始発駅が蘇我駅(内房線と外房線が分岐する)で、湾岸に沿って東京駅へ向かっています。

河口から800mほどの所に架かる都橋からの風景です。右上にモノレールの県庁前駅があり千葉駅と結んでいます。都橋を末広街道が走っています

◆川に沿う道を探し右岸・左岸へと

 国道の寒川大橋の下を抜けて行きます。堤防で川面が見えませんが300mほど進むと「大橋」という橋で川面を見渡せ、高層の千葉セントラルタワーが正面に目に入ります。橋を渡って左岸側へ。右岸を川沿いに進めないので渡り、150m進んで「君待橋」となります。

大橋の上で。正面の高層ビルは、ちばセントラルタワー

県庁に向かう道へ

 「君待橋」からは150m先に高架で川を渡るJR内房・外房線と、京成千原線が見えます。その先の右岸側には、川沿いに葭川排水機場、県文書館の建物が並んでいます。左岸側(右方向)は隠れて見えませんがJR本千葉駅があり、その先300mで県庁です。君待橋の名がロマンチックです。イワレがあるのかもしれません。

県庁を過ぎると橋が次々

 「本千葉橋」から「都橋」、県庁前の「羽衣橋」を過ぎ「吾妻橋」へ。次々と短い距離に架かっています。由来のある橋も。吾妻橋はその一つ。明治30年代に木造の初代の橋が架けられたと説明があります。次に国道126号が通る「大和橋」、100m先で「旭橋」。ここからお城が見えます。(写真:右)

 この旭橋から約1km弱で「境橋」に達し、矢作トンネルが右手に、その上に給水塔が見えます。お城をはじめ千葉大学と医学部付属病院のある台地は亥鼻と言い、この台地の下をトンネルで県道が走り、抜けると青葉の森公園です。台地裾の北側に沿い都川は流れます。

 境橋から530mほどで「都橋」という紛らわしい名の橋があります。モノレール県庁前駅の下を末広街道が「都橋」を渡っていますからこの橋と同じ名称です。ここから振り返って下流方向の風景は、正面にセントラルタワーが聳えて見え、この先中流まで、このタワービルが良く見えました。さらに400mで「立会橋」です。

 立会橋を通る道路は、南で大網街道に出て、北で東金街道と交わります。橋のすぐ先の左岸側に「丹後堰公園」があります。今までのコンクリートの両岸からこの先は土手になり草木が繁茂する風景に変わり、500mほど先で京葉高速道路の下をくぐります。側道の「都川橋」から下流の眺めです(右写真)。

◆都川と支川都川の合流地点

 「都川橋」から見た上流側の風景です。正面に本流からの堰があり、右側には支川都川が合流しています。この地は広々としており遊水地として整備が進められているようです。また、支川都川の左岸側に「都川水の里公園」があります。

 ここまでを下流域と自分で勝手に区分しました。河口からこの都川橋まで、およそ3.5km遡ってきました。この先の都川本川をさかのぼって行きます。広い遊水地の中を都川沿いには進めません。東金街道に一旦出て中流域へと辿って行きます。

都川下流域の地図

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ゆるり水辺の散歩
 大百池の風景
 村田川の風景
  支流村田川
  神崎川
  瀬又川
  本川の下流域
  本川の中流域
  本川の上流域1
  本川の上流域2
 都川の風景
  都川の下流域
  都川の中流域
  都川の上流域1
  都川の上流域2
  都川の上流域3
   支流:支川都川
   支流:坂月川
   支流:葭川
   六方都市下水路
 湧水のある風景
 水辺のスナップ#1
  スナップ #2
  スナップ #3
羽衣の松

千葉県庁の東玄関前に羽衣公園があります。小さな広場で、その一角に高さ5mほどの松があり、立札が付いています。説明によりますと、松の枝に天女が羽衣をかけて池のハスの花に見入っていた、との羽衣伝説が記述されていました。かつてこの近くに池田の池があり、松は千葉八景の一つとして大切に愛護されていたそうです。現在の松は昭和60年に復元したものです。

池田の池

 この池田の池は、かつて都川の流れを受け入れた大きな池が、県庁近くにあったといわれています。1000年前の平安時代に書かれた更級日記にも、大雨でこの池近くを渡るのに2日待たされた、と記述があるそうです。上の画像は本町公園(旭橋脇)にある説明板からの写しです。(ワンクリックで拡大)

丹後堰公園

 丹後堰公園は、立会橋にほど近いところにあります。かつて田んぼに水を運んだ水路沿いに湿地が残り木立の中の小さな空間に木道があります。ここに都川の水をせき止める堰が江戸時代に造られました。布施丹後常長という人が海岸方向にある寒川村(当時)はじめ千葉町・千葉寺村の水田に水を送るために造らせたそうです。水は350年以上も送られました。千葉県で一番古い灌漑用水路だそうです。

都川水の里公園

 京葉道路と千葉東金道路の2方向に囲まれた約43.8haという広い地に都川多目的遊水地の整備が進んでいます。都川の水を洪水時に一時的に貯め被害を無くすためです。その一角に「ふるさとの原風景と生きものにふれあえる田園公園」として、この公園が造られました。かつて水田を潤した自噴井があり、また支川都川の旧河道があります。また、小学生による田んぼでの稲作などの学習としても利用されています。