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東海道、自転車の旅

~千葉から京都・三条大橋へ~

東海道をゆく

番外編・千葉街道


 東海道を走るにあたって、起点である日本橋まで、千葉から千葉街道を走りました。千葉街道は、国道14号線として千葉、東京間のルートです。この14号線の一部に旧街道の佐倉街道が含まれているので、少しこだわって旧道の面影を求めたのです。残念ながら道筋が一部残るのみで、雰囲気も感じませんでした。

千葉街道の昔
 

 江戸時代は千葉と江戸の間の道は佐倉道と言われました。将軍の鷹狩の道として村落や耕作地を無視し直線的に作られたとのこと。その名残が小岩(江戸川区)と矢蔵橋間にあり、直線の道路です。その後、成田山信仰で成田街道になりました。この街道は、江戸時代に信仰と行楽を兼ねた旅ブームで、3泊4日の成田山詣でで賑わい最盛期には、年間約200万人が参拝したそうです。
 成田街道の船橋地点の分岐点から千葉までを千葉街道といっています。江戸時代は房総往還、上総道と呼ばれました。また津田沼近辺の296号線から分岐した御成街道(おなりかいどう)が東金方面に伸びています。これも鷹狩の道です。
 この街道名ですが道路に愛称を付けることが1987年、1988年に制定されました。千葉街道もその一つで佐倉街道が千葉街道になりました。

 千葉街道は江戸川を渡ると、左へ曲がります。JR総武線のガード下を抜けると「一里塚」の交差点があり、千葉街道と篠崎街道の分岐点になっています。千葉街道は、直線で約5キロ先の荒川下流へ向かいます。
小岩保険所の前に小さなスペースに説明板があります。昔、千葉街道沿いに一里塚があり、旅人が一休み、今ポケットパークとし休みどころ、と。

 千葉街道を走っていると市川市役所前の道路際に「八幡の藪(ヤブ)知らず」という小さな森が石柵に囲まれてありました。言伝えに水戸黄門もこのヤブに入ったところ出ることが出来なかったと、入ると祟られるとあります。

江戸川に架かる市川橋から千葉方面を振り返る。江戸時代の市川と小岩間は、渡しで行き来していました。番所が置かれ、その後は関所(小岩側)になったそうで、その場所は分からないそうです。橋から下流方向の堤防上に説明板が設けられています。

 千葉県から江戸川を渡り東京都へ入り、新中川に架かる小岩大橋にかかると、スカイツリーが目に入ってきました。さすがデカイなーと、高さを実感する。

 新小松川橋の東詰めから見るスカイツリー。この荒川を渡るとグッと日本橋が近くなる感じ。上部にかかっているのは、高速中央環状線。荒川の左岸に沿って、湾岸道路の葛西から小菅方向へ向かっています。