東海道は、およそ1200年ほど前から日本の大動脈として重要な役割を担っています。人が歩くことから乗り物による移動をはじめて、約150年ほどです。移動手段の変化で道も変わってゆきます。いまの東海道はかつての面影が残っているのだろうか、街道の魅力はなにか…。日本橋~京・三条大橋間を走り、私なりの旧東海道の魅力を探してみました。

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旧 街 道

 東海道は、古くは奈良時代、平城宮と地方をつなぎ官道として使われ、鎌倉幕府ができて以降、京~鎌倉間で整備されたそうです。 また、足利将軍が諸国に40町を1里とし一里塚を築かせ松・エノキを植えさせたとされています。
 江戸・京都間の距離は126里6町1間、測量が精密に行われていた証しだそうです。
 石畳 旧道の山道、箱根や金谷・菊川では石畳が一部(復元も)残されています。
 渡し 街道には海や川を船で渡ることも。「今切の渡し」と「七里の渡し」で、浜名湖を渡る前者と、宮宿から桑名宿へ七里の船旅があります。
 また、川では六郷川(多摩川)・相模川・天竜川・興津川などで船渡しがありました。
 道標・常夜灯 旅人の助けに道標・常夜灯を設けました。江戸へ京へと方向を示す石柱が今も残っています。

一 里 塚

 一里塚は、土盛りに榎(エノキ)や松などを植え里程の目印にし、5間(約9m)四方に10尺(約3m)の高さの土を盛りました。
 江戸時代の1604年(慶長9年)に2代将軍・秀忠さんが5街道(東海・中山・日光・甲州・奥州)に1里毎に設け、また40町を一里としたのを一里(3,927m)を36町に改めました。
 123か所の内、海上7里を除くと117か所あるといいます。
 伏見一里塚 土盛りが目を引きます。沼津市清水町の宝池寺の門前にあり昭和60年の復元。道路を隔て玉井寺に当時の原型をとどめる塚があり、二つが対で「伏見一里塚」と呼ばれています。
 島田宿一里塚跡   街道で見かける代表的な一里塚として挙げてみました。旧道には、こうした石柱だけの標識がほとんどです。
 飯村一里塚 旧道と国道1号線が合流する所にポツンと寂しげ。二川宿を出て吉田宿への手前。(豊橋市)
 本宿一里塚 立派な石の標識、2mを超えるもので目についた。(岡崎市本宿)
 来迎寺一里塚 道の左右一対の塚がある(知立市)
 阿野一里塚 ここにも両側に塚がほゞ往時のままで。(豊明市)
 石薬師の一里塚 絵本のよう(鈴鹿市)
 和田一里塚 一対の塚、平成5年の復元(亀山市)
 目川一里塚跡 街道に似合う(栗東市)
 野村一里塚跡 幹周り6m、樹齢400年ムクの巨木(亀山市)
 野路一里塚 看板で所在を訴え。(草津市)
 馬入一里塚 一里塚跡で唯一デザインされた碑か?(平塚市)

松 並 木

 街道の並木は、松をはじめ杉、樫、ヒノキなどが植えられ日陰を作りました。道中奉行によって明治時代まで松並木などは維持管理された。以降は松喰い虫の被害などで立ち枯れし、大正末期には消滅、東海道でもほんの一部だけに。
 平塚から大磯 昔ながらの松並木、美しい風景がつづきます。
 千本松原 駿河湾に沿って旧道の南に並行して10kmつづく。
 藤枝から島田 切れ切れに松並木がつづいている。
 掛川から袋井 大池から間(あい)の宿・原川へ、さらに袋井へかけて途切れ途切れに。
 舞阪の松並木 浜松から舞阪へ入る手前に整然とした松並木が700mつづき美しい。
 御油の松並木 赤坂宿にかけ600mの松並木。樹齢300年以上もあり国の天然記念物に指定されている。

本陣・旅籠・老舗

 かつての宿場に入ると「木戸」に始まり、問屋場、本陣、脇本陣、旅籠屋や店屋などの跡を示す石碑や立札を見かけます。なかには200年を越える老舗もあります。当時の建物を復元したものも多く、そうした時代の魅力を探してみました。
 本陣 大名などが宿泊する本陣は、名誉はあるが経営は大変だったそうです。維持できず建物は、ほとんど無くなり、復元されたのは二川宿と草津宿の二つのようです。
 旅籠 当時の佇まいを残し保存されているのが「紀伊国屋」(資料館)と「大橋屋」です。現役で営業を続けるのは大橋屋です。
 老舗 時代の魅力を感じさせる老舗が今も商売を続けています。出合ったお店を取り上げてみました。
 甘酒茶屋 よく知られた箱根の甘酒茶屋は、文政年間(1818~29年)の記録があり八里の間に13軒あったそうです。今も甘酒と力餅をいただけます。
 とろろ汁 丸子宿の名物とろろ汁の丁子屋が今もお店を開く。広重の五十三次に描かれています。
 あべかわ餅 府中宿から安倍川を渡る手前に、あべかわ餅の石部屋がのれんを掲げています。家康さんが名づけたといわれます。
 追分羊かん 久能山へ向かう追分に追分羊かんのお店。江尻宿に江戸時代から営業。
 なが餅 天文19年(1550年)の創業といわれ、四日市宿でなが餅を販売している。
 和中散 石部宿と草津宿の中間に道中薬(和中散)を売る店があり、その一つ「ぜさいや本舗」。
 宿場 旅人の宿泊の役割を担っただけでなく、幕府公用の人馬の調整、公用文書の輸送を管理する施設も置かれました。宿場の佇まい、また雰囲気を感じさせるところを拾ってみました。
 蒲原宿 富士川を渡り清水市清水区に、今も静かな通りが約1キロにわたり宿場の面影を残しています。
 島田宿 大井川を渡る手前の宿場。江戸時代の建物が復元され、大井川川越遺跡として公開されています。
 有松宿 知立宿と鳴海宿の「間(あい)の宿・有松」は名古屋市の町並み保存地区に。古い商家が残る家並みが見られるところ。
 関宿 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているだけに約2キロの町並みは驚きだ。7割が戦前の建物だという。
 見付宿 遠州見付宿は京から来てここで初めて富士山が見え「見付」となったという。
 御油宿 鉄道(国鉄)や国道から外れ、また戦災などの被害に遭わなかったことで、今も連子格子の家が多くあり雰囲気がある。
 藤川宿 国道脇に宿場への門、その先に東棒鼻が再現された。
 水口宿 甲賀の里、城下町で三筋の通りに面影が残る街並み。

旧街道

箱根箱根の旧道
さった峠サッタ峠からの国道
宮の渡し宮の渡し
四日市道標四日市宿の古い道標
鈴鹿峠鈴鹿峠への登り口
常夜灯草津宿の道標・常夜灯
道標琵琶湖への道標は古い
逢坂山逢坂山の関所跡の碑

一里塚

伏見一里塚伏見一里塚(宝池寺)
島田島田宿一里塚跡
飯村飯村一里塚跡
本宿本宿一里塚跡
来迎寺来迎寺一里塚
阿野阿野一里塚
石薬師石薬師の一里塚跡
和田和田一里塚
目川目川の一里塚跡
野村野村一里塚
野路野路一里塚跡
馬入馬入一里塚跡

松並木

大磯平塚(花水橋)から大磯へ
千本松原沼津の千本松原
六合藤枝から島田の間
原川掛川(大池)から袋井
舞阪舞阪の並木
御油御油の松並木

本陣・旅籠・老舗

本陣

二川宿二川宿の本陣
草津宿草津宿の本陣

老舗の旅籠

紀伊国屋新居宿の紀伊国屋
大橋屋赤坂宿の大橋屋

老舗のお店

甘酒茶屋箱根の甘酒茶屋
とろろ汁とろろ汁の丁子屋
安倍川もちあべかわ餅の石部屋
追分羊かん追分羊かん
なが餅なが餅の笹井屋
和中散旧和中散本舗

宿場の街並み

蒲原宿蒲原宿
島田宿島田宿
有松あい(間)の宿有松
関宿関宿
見付宿見付宿
御油宿御油宿
藤川宿藤川宿
水口宿水口宿