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東海道は、古くは奈良時代、平城宮と地方をつなぎ官道として使われ、鎌倉幕府ができて以降、京~鎌倉間で整備されたそうです。 また、足利将軍が諸国に40町を1里とし一里塚を築かせ松・エノキを植えさせたとされています。
江戸・京都間の距離は126里6町1間、測量が精密に行われていた証しだそうです。
石畳 旧道の山道、箱根や金谷・菊川では石畳が一部(復元も)残されています。
渡し 街道には海や川を船で渡ることも。「今切の渡し」と「七里の渡し」で、浜名湖を渡る前者と、宮宿から桑名宿へ七里の船旅があります。
また、川では六郷川(多摩川)・相模川・天竜川・興津川などで船渡しがありました。
道標・常夜灯 旅人の助けに道標・常夜灯を設けました。江戸へ京へと方向を示す石柱が今も残っています。
一里塚は、土盛りに榎(エノキ)や松などを植え里程の目印にし、5間(約9m)四方に10尺(約3m)の高さの土を盛りました。
江戸時代の1604年(慶長9年)に2代将軍・秀忠さんが5街道(東海・中山・日光・甲州・奥州)に1里毎に設け、また40町を一里としたのを一里(3,927m)を36町に改めました。
123か所の内、海上7里を除くと117か所あるといいます。
伏見一里塚 土盛りが目を引きます。沼津市清水町の宝池寺の門前にあり昭和60年の復元。道路を隔て玉井寺に当時の原型をとどめる塚があり、二つが対で「伏見一里塚」と呼ばれています。
島田宿一里塚跡 街道で見かける代表的な一里塚として挙げてみました。旧道には、こうした石柱だけの標識がほとんどです。
飯村一里塚 旧道と国道1号線が合流する所にポツンと寂しげ。二川宿を出て吉田宿への手前。(豊橋市)
本宿一里塚 立派な石の標識、2mを超えるもので目についた。(岡崎市本宿)
来迎寺一里塚 道の左右一対の塚がある(知立市)
阿野一里塚 ここにも両側に塚がほゞ往時のままで。(豊明市)
石薬師の一里塚 絵本のよう(鈴鹿市)
和田一里塚 一対の塚、平成5年の復元(亀山市)
目川一里塚跡 街道に似合う(栗東市)
野村一里塚跡 幹周り6m、樹齢400年ムクの巨木(亀山市)
野路一里塚 看板で所在を訴え。(草津市)
馬入一里塚 一里塚跡で唯一デザインされた碑か?(平塚市)
街道の並木は、松をはじめ杉、樫、ヒノキなどが植えられ日陰を作りました。道中奉行によって明治時代まで松並木などは維持管理された。以降は松喰い虫の被害などで立ち枯れし、大正末期には消滅、東海道でもほんの一部だけに。
平塚から大磯 昔ながらの松並木、美しい風景がつづきます。
千本松原 駿河湾に沿って旧道の南に並行して10kmつづく。
藤枝から島田 切れ切れに松並木がつづいている。
掛川から袋井 大池から間(あい)の宿・原川へ、さらに袋井へかけて途切れ途切れに。
舞阪の松並木 浜松から舞阪へ入る手前に整然とした松並木が700mつづき美しい。
御油の松並木 赤坂宿にかけ600mの松並木。樹齢300年以上もあり国の天然記念物に指定されている。
かつての宿場に入ると「木戸」に始まり、問屋場、本陣、脇本陣、旅籠屋や店屋などの跡を示す石碑や立札を見かけます。なかには200年を越える老舗もあります。当時の建物を復元したものも多く、そうした時代の魅力を探してみました。
本陣 大名などが宿泊する本陣は、名誉はあるが経営は大変だったそうです。維持できず建物は、ほとんど無くなり、復元されたのは二川宿と草津宿の二つのようです。
旅籠 当時の佇まいを残し保存されているのが「紀伊国屋」(資料館)と「大橋屋」です。現役で営業を続けるのは大橋屋です。
老舗 時代の魅力を感じさせる老舗が今も商売を続けています。出合ったお店を取り上げてみました。
甘酒茶屋 よく知られた箱根の甘酒茶屋は、文政年間(1818~29年)の記録があり八里の間に13軒あったそうです。今も甘酒と力餅をいただけます。
とろろ汁 丸子宿の名物とろろ汁の丁子屋が今もお店を開く。広重の五十三次に描かれています。
あべかわ餅 府中宿から安倍川を渡る手前に、あべかわ餅の石部屋がのれんを掲げています。家康さんが名づけたといわれます。
追分羊かん 久能山へ向かう追分に追分羊かんのお店。江尻宿に江戸時代から営業。
なが餅 天文19年(1550年)の創業といわれ、四日市宿でなが餅を販売している。
和中散 石部宿と草津宿の中間に道中薬(和中散)を売る店があり、その一つ「ぜさいや本舗」。
宿場 旅人の宿泊の役割を担っただけでなく、幕府公用の人馬の調整、公用文書の輸送を管理する施設も置かれました。宿場の佇まい、また雰囲気を感じさせるところを拾ってみました。
蒲原宿 富士川を渡り清水市清水区に、今も静かな通りが約1キロにわたり宿場の面影を残しています。
島田宿 大井川を渡る手前の宿場。江戸時代の建物が復元され、大井川川越遺跡として公開されています。
有松宿 知立宿と鳴海宿の「間(あい)の宿・有松」は名古屋市の町並み保存地区に。古い商家が残る家並みが見られるところ。
関宿 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているだけに約2キロの町並みは驚きだ。7割が戦前の建物だという。
見付宿 遠州見付宿は京から来てここで初めて富士山が見え「見付」となったという。
御油宿 鉄道(国鉄)や国道から外れ、また戦災などの被害に遭わなかったことで、今も連子格子の家が多くあり雰囲気がある。
藤川宿 国道脇に宿場への門、その先に東棒鼻が再現された。
水口宿 甲賀の里、城下町で三筋の通りに面影が残る街並み。