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東海道、自転車の旅

~千葉から京都・三条大橋へ~

東海道をゆく

五日目

 この日は静岡市から掛川市までのわずか46キロの走行になった。大井川をわたり金谷から牧の原台地へのシンドイ上り。次の難所、小夜の中山峠越えがつづくはずであったが、楽を選択しトンネルを抜けた。そして旧街道へと入る道を見落とし通り過ぎてしまったことで、少しショックがあった。ゆっくりしすぎの感を反省。

 
府中→丸子→岡部→藤枝→島田→金谷→日坂→掛川:46.1k

府中 丸子 岡部 藤枝まで20.1km 

 駿府城跡 静岡の官庁や学校が集中する駿府城周辺の朝は、出勤・通学の人が行き交う。徳川家康が最後の居城とした駿府城へ向かう。
 かつて駿府、府中と呼ばれ江戸時代に宿場の呼称として「府中宿」とされた静岡市、いま、お城は、二ノ丸と本丸は駿府城公園として整備され、三ノ丸には官庁や学校などの建物がしめている。石垣と中堀・外堀が当時の築造物で、その時の規模などが想像できる。駿府公園の南東側には東御門と巽櫓(たつみやぐら)が木造で復元されている。築城は1585年(天正13年)、1635年(寛永12年)に火災で天守はじめほとんどが焼失した。建物の規模を縮小し明治まで持ちこたえたという。
 お城の公園をぶらりとめぐったあと「札の辻」跡から安倍川へと進む。

  

 駿府城のお堀を通っていると異様な彫像を見つけた。なんと巨大なワサビ。ここ静岡はワサビの栽培発祥の地で400年になり生産量は全国第一位だという。

 あべかわ餅で有名な「石部屋」

  

 安倍川橋490mをわたり丸子へ

 丸子宿の丁子屋 安倍川をわたり、国道1号と離れまた合流したりしながら街道を進む。広重の東海道五十三次の絵でおなじみ、丸子宿名物とろろ汁の茶屋に行き会う。まだ、朝の9時、古くからのこの地の名物とろろ汁を味わうことが出来なかった。かつては多くのとろろ汁店があったが今は数件だという。なかでもわらぶき屋根の丁子屋は、広重の絵に似て人気がある店だ。ここにも芭蕉の句碑があった。芭蕉もとろろ汁を味わったようだ。
 道は山あいを進み宇津ノ谷峠を越える。 

 岡部宿へ 山あいの谷を道が上って行く。国道1号が宇津の谷峠をトンネルで越えると岡部宿に入っていた。崖上に「十石坂観音堂」が見えさらに進むと大旅籠「柏屋」というのがあった。資料館を兼ね復元された旅籠という。岡部宿は街並みが宿場の雰囲気を持った観光地に整備されている。

 岡部宿の外れ横内地区の松並木

 藤枝を通過する 街道はいつしか藤枝宿に入り,商店街を進んで行く。かつて宿場は約2キロにわたり長かったらしい。道々に個人のお宅か、お寺なのか立派な松が見られ印象に残る。なんでも久遠の松、本願の松という威風堂々のクロマツの銘木が多いという。バス停側に常夜灯があり、蓮正寺がある。なんでも熊谷直実の伝説がある寺という。

 藤枝宿西の外れに志太一里塚蹟が常夜灯と共に保存されていた

     

 駿府城への正面の出入り口「大手御門」跡。写真の奥に右へ直角に、さらに左へかぎ型に曲がり城内へつづく

お堀と石垣の上の巽櫓(復元)

駿府城の追手門入口である札の辻跡は繁華街の中 

 丸子宿の入口、江戸方見付の標識

丸子宿の本陣跡

 丸子宿の名物、とろろ汁の丁子屋。歌川広重の「東海道五十三次」鞠子宿の浮世絵が大きく掲げられている

 岡部宿に入ると街道に大旅籠「柏屋」

 藤枝宿には街道沿いに立派な松が目についた。ここ蓮正寺の松をはじめ周辺に古そうな大きな松を見かける

 

島田 金谷 日坂 掛川まで26.0km

 島田宿と大井川 まばらに保存された松並木の街道と、国道1号を、ほぼたどって進むと島田の商店街に入りJR島田駅前を通過した。
 旅をする昔の人は、大井川にかぎらず川を越えることが最大の関心事であったようだ。川留めに遭ってこの島田宿がにぎわうようであれば懐具合が心配になる。なにしろ年間22回(幕末)も川留めがあったという。
 その渡し場がかつてあった大井川川越遺跡に入った。

 復元された番屋に川越人足の人形。当時は島田と金谷側にそれぞれ650人が待機したという(幕末時)

 川留めに立ち往生 橋のなかった大井川は、「…越すに越されぬ大井川」と巷間うたわれたように、川留めにまつわる話が尽きないようだ。
 人の首までの4尺5寸(130cm)で川留めになった。最も長かった川留めは慶応4年の約1月の記録だという。街道は、70kmにわたり人で溢れたそうだ。旅人は滞在で旅費を使い果たしてしまう。行くに行かれず、帰るに帰れずの旅人は、ついに居着いてしまったということも。これぞ立往生だ。
 この大井川を境に東の江戸方と西の上方の、文化・人の気風や好みが違うそうだ。

 川越し 大井川はじめ東海道では、酒匂川、興津川、安倍川などが川越しを行っている。幕府が橋を架けることを禁止したためで、明治3年まで川越しは続けられた。この川越しを管理する役所が川会所で旅人はここで川札を買って人足に渡すことが1711年(正徳元年)に規則となった。それまでは賃銭でのトラブルが少なくなかったようだ。

 金谷宿へ 長い大井川橋をわたり金谷に入る。ここも島田市域なのだ。川を境に行政区も変わることが多いが、これだけ大きな川なので当然違っていると思っていた。
 山に挟まれた谷間にJR金谷駅がある。駅手前に本陣跡があり、宿場の中心。島田宿と同様に川越しと、これからの小夜の中山越えを控えてにぎわいがあったという。
 左手の山の斜面を上る車と道路が遠くにチラチラ見えている。これから上ってゆく高さに気持ちを奮い立たせる。

 石畳 金谷坂石畳に入る案内が道路際に立つ。この旧道の石畳は平成の道普請で整備されたという。まる石を敷き詰めた山道を自転車ではのぼれない。このまま車道を押して進み牧の原台地へ。のぼるにつれ茶畑の向こうに大井川が見え眺めの良さに苦しさを和らげてくれる。牧の原公園への道が右にあり、その道をのぼる。一面の茶畑が台地上に広がっていた。諏訪原城跡の案内板を見て先へ進む。

 牧の原台地に上ると芭蕉の句碑。金谷から日坂にかけ、とくに小夜の山中を詠みこんだ和歌、俳句、紀行文が多く、峠の道沿いに代表的な和歌や俳句の碑があるという。

 台地の上にある石畳の出口。ここから下って金谷駅へとつづく急坂

 間の宿、菊川へ 台地の茶畑を通って行くと道は分岐し、下りの坂道がある。荒れ果てた石畳の下り坂だ。雑草が道を覆いその先が暗い。他の道はないかと探すと一車線のアスファルトの道を見つけ、つづら折りの急坂を下って行く。キツイ坂でこれが逆だったら、いやだなと思う。下ると菊川宿だ。宿場と宿場の間にあるので「間(あい)の宿」といわれている。
 「間の宿」は、東海道では畑宿、有松宿、菊川宿などがあり、旅人は宿泊を禁止されていた。
 谷間の宿場は短く、すぐに抜けてしまった。間の宿、菊川を出ると小夜の中山。つぎの日坂宿へと進むことになる。

 菊川宿の地名、川の名になった菊花紋の菊石。川から多く出土した

 夜泣き石 間宿、菊川を出て、有名な「夜泣き石」を見に行く。案内板に従って進むと、国道1号が山に迫りトンネルに入る手前に出た。お店(小泉屋)の横の階段を上るとその「夜泣き石」があった。
 夜な夜な鳴き声を上げたという石。広重の絵にも描かれている。伝説では、妊婦が山賊に殺されたが、おなかの赤ちゃんは助かりお寺の住職が水あめで育てた。母の霊が石をかりて毎晩泣いた、という。この「夜泣き石」は峠の途中にあったのを位置を移されたという。また別に小夜の中山の久延寺にも夜泣き石がある。

 小夜の中山 お土産物店(小泉屋)で水あめでなく、ソフトクリームをなめながら休憩。お店の方に峠への道を尋ねると、小夜の中山の峠は大変だから旧国道1号を行けば、との助言。あっさりと甘い言葉に楽を選んでしまい峠の下をトンネルで抜けた。
 これを旅を終えてから後悔することになった。この峠は、箱根峠、鈴鹿峠と共に険しさから東海道の三大難所と言われていたので、躊躇していたのだ。
 しかし小夜の中山峠を通る道は、歌碑の道として、さらに趣のある史跡が多く、つらい道になったとしても、かつての旧道の空気を感じるべきではなかったか、と残念に思っている。

 日坂へ  小夜の中山峠から旧東海道を下ってきた道は一旦、旧国道1号に出て、再び脇道の日坂宿へ入る。
 だが、旧国道を進んでいて、脇道へ入る街道の分岐地点を見落としてしまい日坂を通り過ぎてしまった。

 掛川へ 日坂宿へ寄ることなく通りし過ぎ、気づくとそのまま掛川へは入ってしまった。
 街道には山車が出て祭りの最中だった。法被姿の大人、子供が道路を占め、祭りの雰囲気は盛り上がっている。
 掛川宿には道が七曲りとなり、かつては敵の侵入を防いだというが、今は住宅が密集してよく分からない。分からないまま進むと掛川城の大手門に出た。ここも大勢の法被姿が発会式のような儀式を行っていた。
 掛川城は、平成6年に復元され本格的な木造の天守閣や大手門ができた。お堀に架かる橋を渡ると石垣が周りを囲む。大手門から天守閣の眺めが良い。山内一豊の出世城といわれている。数年前に訪れ天守閣へ上っているので城内へは入らなかった。

 掛川城天守閣は外層3層、内部4階。今川義忠が1469年に築城した

 掛川祭り 掛川の祭りは、3年ごとの祭りを「大掛川祭り」、通常は「小祭り」が10月の第2土、日を中心に3日間で行われる、という。遭遇した祭りは小祭り。この日は金曜日で初日にあたったようだ。41の町内毎に山車を引き大規模な祭りが展開されるという。

 掛川に泊まる まだ明るく時間も少しあるが宿を探し駅前のビジネスホテルを確保する。

島田鍛冶一門を顕彰した刀匠碑と並び問屋場跡の碑

大井川川越遺跡。道の両側に復元された家屋が並ぶ

 大井川の左岸側土手からこれからわたる大井川橋を見る。川越遺跡には川越制度の管理をする川会所などもあり国の史跡のほか島田市博物館が並んでいる

    

大井川橋は、長さ1,026m、昭和3年の完成

 JR東海道線の金谷駅。線路は手前へ牧の原トンネルに入り山を抜けて掛川へ通じる。画面奥は大井川方面

金谷坂石畳への案内。自転車はまっすぐ牧の原台地へ

 牧の原台地へ上ってゆくにつれ斜面の茶畑の向こうに大井川が広がる。富士山や南アルプス、駿河湾をも眺望できるというが、晴れている割に雲で見えない

間の宿菊川への急坂をくだる途中、菊川の街並み

街道沿いの人家壁一面に菊川の案内絵が描かれていた

旧国道1号脇にあるのお土産小泉屋うらの「夜泣き石」

日坂から掛川への街道で彼岸花の群生(逆川の土手)

掛川市伊達方で大頭龍大権現神社への参道標修理中

掛川に入るとまつりの最中で山車が出ていた

葛川一里塚。逆川(さかがわ)の馬喰橋の脇に

掛川城の大手門前で「掛川まつり」の準備する氏子ら

大池一里塚跡