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 熊野古道とは…

 熊野古道は、山岳霊場をめぐる巡礼の道です。
 平安時代の昔から雅な人をはじめ庶民まで参詣していたようで、各地から熊野を目指し、ルートが出来ていったと言われています。今は世界遺産に登録された参詣道となり、世界各地からここを歩く人々がやって来ています。

 紀伊半島には、6本の熊野古道があります。その概略図です。この地図は、「田辺市熊野ツーリズムビューロー」のホームページからお借りしました。(拡大できます)
◎「田辺市熊野ツーリズムビューロー」のHP
http://www.tb-kumano.jp/kumanokodo/

参詣道は6コース

 山岳霊場は、北から吉野山(奈良県)、高野山(和歌山県)、そして熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)の三つです。この異なる霊場を結ぶ参詣道は六つのルートからなり、大阪、三重をも加え四府県からやって来ています。
 ◎大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)
 吉野山と熊野本宮大社を結びます。約100㎞の道のりです。
 ◎伊勢路(いせじ)
 伊勢(三重県)から半島の東海岸沿いに南下し、熊野本宮大社を経て新宮へと結びます。約170km。
 ◎紀伊路(きいじ)
 大阪と紀州の田辺を結びます。京から淀川を下り、大阪の天満八軒家から南下し和歌山県田辺へ向かいます(世界遺産に登録されていない)。この間約170kmでここからさらに二つの選択肢があります。
 ◎中辺路(なかへち)
 田辺から紀伊半島の内陸部へと進み熊野本宮大社めざします。さらに熊野速玉大社へたどる参詣道です。本宮大社へは約57km、ここから速玉大社へ36㎞の行程で約100㎞となります。
 ◎大辺路(おおへち)
 田辺から海岸を南下し、那智へと向います。さらに新宮へたどり速玉本宮へ向かいます。約120㎞の道のりです。
 ◎小辺路(こへち)
 高野山と本宮大社を結ぶ参詣道です。約70㎞の行程になります。

小辺路の行程

 小辺路の全行程を歩くには、次のように案内されています。
 高野山から熊野本宮までを踏破する場合は、高野山での前日泊、大股泊、三浦口泊、十津川温泉泊、本宮泊の5泊が必要とされています。
1日目=高野山から大股へ。(約16.8km;約4時間45分)
2日目=大股から三浦口へ。(約16.7km;約6時間)…伯母子峠(おばことうげ:標高1220m)を越える。
3日目=三浦口から十津川温泉へ。(約21km;約5時間30分)三浦峠(標高1070m)を越える。
4日目=十津川温泉から熊野本宮への最終行程。(約16.7km;約5時間)…果無峠(標高1114m)越えがある。
 (コースタイムには休憩時間・見学時間・参拝時間などは含まず)

私の歩いたコース

 小辺路の四分の一にあたる十津川温泉から果無峠を越えるコースを歩きました。熊野本宮までのコースですが、私はそのうち本宮大社手前の八木尾まで下り、本宮へは村営バスで向かいましたので、このコースを完走したわけではなく、最後の6㎞は歩いていません。
 十津川温泉に泊まり翌日(2016年4月5日)蕨尾口の宿を出て登山口から登り始めたのが7時40分頃です。果無集落を通過し、峠を越えて八木尾の登山口へ下ってきたのは2時20分でした。コースタイムのほぼ倍のゆっくりした歩きで、膝にバクダンを持つカミさんのペースでした。2時47分の本宮へ向かう村営バスに間に合いました。

最長の路線バス

 陸の孤島、秘境など揶揄されていた奈良県の最南部の十津川村は、日本一大きな村といっています。国道168号線が奈良と和歌山県の新宮市を結んでます。交通機関はバスのみです。一日3便(往復)の大和八木駅(近鉄)と和歌山県のJR新宮駅間を走る奈良交通のバスが入っています。このバスは県境を越え6時間半という「日本で一番長い路線バス」として有名です。
 十津川村の村内には、村営のバス(写真下)が運行されています。熊野本宮大社と十津川温泉の間をやはり日に3便往復し、また村内の各地への足として走っています。果無集落へも行っていました。

      
果無集落

 果無集落の映像を見たのはいつのことなのか思い出せないのだが、すごい所にお住まいなのだな、どういう所だろう、「果無」なんてネーミングがまたいいなあ、と興味を持ち訪ねてみたいと思いながら年月が経ってしまった。
 映像では、細い尾根筋の左右に畑、その間の小さな道に立つおばあさん、背景は遠く山並みが低く見えている、と絵のようであった。それを求め、今回、思い立ち出かけ、峠越えも果たした。
 十津川村の果無集落は、尾根の上に散在し、南方の高みへ向かう峠へつづく参詣道が通っているところです。北・東・西の方面は山並みがほぼ同程度の高さかで見渡せ「天空の郷」と呼んでいます。  参詣道が庭先を通っているお家には、湧き水を受ける水桶があり、縁側にはスタンプが置かれています。記念に押してきました。
 「熊野古道の完歩証明」の押印帳が観光協会から出ています。これを持って各古道を歩き通せれば…。

 
八咫カラス

 八咫烏とは、熊野那智大社の主祭神、家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕え、だそうで、 導きの神として崇められています。 八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味で、太陽の化身だそうです。足は三本です。

熊野川の河川名

 この熊野地方の地図を眺めていると、熊野川であろうと思っていた呼び名が様々で十津川・新宮川など異なり別の川なのか、と疑問に思っていました。検索して、理解できました。平成10年4月から「熊野川」と名称が統一されたということです。なんと最近のことなので驚きました。流域の奈良、三重、和歌山の三県を流れ、地域でそれぞれ呼称が違っていたのを、流域15市町村と県の話し合いで決まったということです。水系名は新宮川とされています。

参 考

熊野本宮大社へのアクセスなど:
◎熊野本宮大社のHP;
http://www.hongutaisha.jp/
◎伊勢路の紹介HP;
http://www.kumadoco.net/
kodo/index.html
◎熊野本宮観光協会;
http://www.hongu.jp/
◎那智勝浦町観光協会;http://www.nachikan.jp/
◎熊野速玉大社のHP;
http://kumanohayatama.jp/
◎和歌山県世界遺産センター;http://www.sekaiisan
-wakayama.jp/
know/sisan.html
◎田辺市熊野ツーリズムビューロー;http://www..tb-kumano.jp/kumanokodo/

世界遺産

 「紀伊山地の霊場と参詣道」が平成16年7月7日に世界遺産登録されました。三重、奈良、和歌山の三県の広大な自然、そこを取り巻く古代からの神聖な敬い、そうした歴史的資産と文化的景観が高く評価されたと、されています。

熊野古道の道標を

 大阪市の四天王寺へ向かう途中、谷町筋で「熊野街道」の石碑を見つけました。かつて熊野詣でへ、京の都の高貴な人らが淀川くだり、この大阪の市内を南北に走る谷町筋を紀州へと向かったのでしょう。

 左の地図は、登山口にあった案内板から拝借したものです。(一部記入)
 ここには、奈良県を通る二つの参詣道が示されていますが、熊野古道と呼ばれる参詣道は六本のルートがあります。
 このうち、高野山(和歌山県)から熊野本宮への参詣道を「小辺路」(こへち)と呼んでいます。最短距離で本宮大社への道というので「小」が付けられた、といわれていますが、1000m級の三つの峠をアップダウンする最もハードな参詣道と言われています。
 ここを歩きたいと思いながら年月が過ぎ去り、今は70才も半ば、小辺路の全行程(約70㎞)を歩くには体力が伴わず諦めました。しかし、一部でも、と遅ればせながら意を決し、今回は実行しました。

 その一部とは、小辺路の最後のコースになる十津川温泉から八木尾までのルートです。ここは小辺路のハイライト、果無の集落がありこの天空の郷をぜひ訪れてみたいと思っていたからです。その念願が叶いました。(トップの写真は、尾根でNHKのテレビ取材陣が枝垂桜を撮影する場面に出合いスナップ)

熊野三山と熊野本宮大社…

 「熊野」はどこ?紀伊半島の南部、和歌山県と三重県の南の地域を言っています。その地域にある信仰の三社、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を「熊野三山」と称しています。平安時代には、ここを巡って参詣すれば、極楽浄土へ行けるという思いが高まり、高貴な方から庶民まで、時代を下って今日まで、三山を詣でることが続いているのです。
 熊野本宮大社:熊野神社の総本社という熊野本宮大社は、和歌山県田辺市本宮町にあります。かつて本宮大社は、熊野川の中洲にあったそうで、明治22年の大洪水で被害を受け、その2年後に現在の小高い所に「上四社」移し、その聖地の中洲には「大斎原(おおゆのはら)」という社殿に「中四社」・「下四社」が石祠として祀られていると説明されています。
 全国各地に3000あるという熊野神社の総本社は、飛鳥時代の615年に今の中洲(大斎原)に置かれて以来、奈良・平安時代を通じ信仰を集めてきたのです。当時は、今の8倍もの広がりを持つ規模であったといいます。

本宮大社 熊野本宮大社の上四社の並び。写真右手から天照大神が祀られ、左へ主祭神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)へと社殿が並んでいる。

熊野那智大社:那智の滝を神格化したことを起源とするといわれています。中辺路の参詣道が通じ「大門坂」を登り、那智大社へ那智の滝へと向ってます。山際に6つの社殿が配置され 西国巡礼の一番「青岸渡寺」が並んであり、ともに信仰を古から集めています。山の麓の「補陀洛山寺」ともに世界遺産に登録されています。 大社は、那智勝浦町にありJR那智勝浦駅からのバスで標高500mへ登り、終点で降り、467段の石段を上ります。

三重塔 訪れた時は雨上がりの雨霧の中にうっすらと滝が遠望できました。三重塔と那智の滝は、熊野那智大社を紹介するメディアに出てくる絵柄です。

熊野速玉大社: 新宮市のJR新宮駅からも近い市街地にあります。熊野川の右岸、河口に近い位置です。この速玉大社の縁起によると、ここから西へ約1kmほどの所に神倉山と呼ばれるお山があり、このお山に神が降臨し、麓へ神倉神社を設け祀ったことに始るようです。
この神倉神社に祀られていた神を現在の地に移し、それ以来、神倉山の元宮に対し、ここを「新宮」と呼んだといわれています。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としています。

速玉大社  熊野速玉大社は、熊野川の河口に近い右岸に社殿が新たに設けられたことからいまの市の名称「新宮」になったようです。
(写真提供新宮市)