左の地図は、登山口にあった案内板から拝借したものです。(一部記入)
ここには、奈良県を通る二つの参詣道が示されていますが、熊野古道と呼ばれる参詣道は六本のルートがあります。
このうち、高野山(和歌山県)から熊野本宮への参詣道を「小辺路」(こへち)と呼んでいます。最短距離で本宮大社への道というので「小」が付けられた、といわれていますが、1000m級の三つの峠をアップダウンする最もハードな参詣道と言われています。
ここを歩きたいと思いながら年月が過ぎ去り、今は70才も半ば、小辺路の全行程(約70㎞)を歩くには体力が伴わず諦めました。しかし、一部でも、と遅ればせながら意を決し、今回は実行しました。
- 十津川はダムでせき止められ川幅が広がっています。流入する上湯川に架かる赤いアーチの柳本橋が熊野本宮大社から十津川温泉への入り口になり、その向こうに温泉の町が見えます。
- バスで渡ってきた赤い柳本橋を振り返り、翌朝に備え登山口を確認しに出かけました。 国道168号からここで国道425号が分かれていて(写真右へ)昴の郷へ向かっています。
- アーチの橋が2本架けられ、この庵之前橋の先に蕨尾の旅館や民宿が崖に張り付くようにあります。従来の橋幅では車の通行に間に合わなくなったので、増設したのでしょうか。
- 十津川温泉のバスターミナルです。新宮駅行きが停車していた。奈良の大和八木駅を朝11時45分出たこのバスは、10分休憩の後、16時14分発で新宮駅へ向かい、18時21分に着きます。
- 庵之前橋の南詰に「憩いの湯」という公衆浴場がありました。 十津川温泉は、源泉かけ流しが売りです。宿泊した風呂の窓からダム湖が目の下に見え桜がライトアップされていました。
- つり橋には、柳本橋と記されています。小辺路のコースで三浦口から十津川温泉へ入ってきた参詣道は、最後のコースの本宮へは、このつり橋を越えるところから始まります。
- 上湯川は、熊野川へ流入する支流でここにつり橋が架けられています。高さ10ⅿで、対岸まで90ⅿほどです。対岸へ渡り、民家の横を抜けて少し上ると車幅の狭い舗装道路に出ます。
- 舗装道路に出ると、案内のポールが民家への階段を登るよう示しています。崖の上に民家があり、このお家の私道のようですが、軒先を被りお邪魔して登って行きます。と車道に出ます。
- この車道が、この山の上にある果無集落への現代の道になっています。同時に、果無峠への登山口もここからで、その案内がポールで示されていますので、すぐに分かります。
- 登山の石段は、すぐに石畳の道になります。急こう配の杉林の急登をしばらく続けることになり、息を切らせ、我慢が続きます。林は、よく手入れされ、枝落としがなされていました。
- 東斜面の開けた個所からダム湖となった熊野川が朝日を反射し、まぶしく光っているのが見え、山の上に老人ホーム高森の郷の建物がどっしりと存在感を示していました。
- 道筋に石で囲まれたお地蔵さまが現われました。この果無峠越えの道筋には、三十三体の観音石仏があると紹介されていますが、この地蔵さまは番号が振られてなく、番外でしょうか。
- 視界が開け、民家の屋根が見え尾根に出ました。案内標識があり三十三体の観音石仏のうち31から33の石仏は左への道を下ると、案内されています。果無の集落へ入りました。
- 尾根には、石垣で補強された畑が広がり、耕運機で耕す方がおられ、細い石畳の道が緩く登っています。目の前にトンビが畑の上を低空飛行でクルクルと旋回を続けていました。
- トンビが旋回している理由は、小さな水槽で飼っているコイを狙っていると、この飼い主の説明でした。一匹のコイの背を見てご覧というので覗くと確かに背に傷がありました。
- お家の軒先を進むことになります。小辺路の案内書やパンフに出てくるお家です。かつて茶屋を営んでいたと。縁側に置かれてたスタンプが目に入り記念に押しました。
- 石畳と石段を数段上ると、尾根をゆるくのぼりっている道が延びています。その先に、よく写真で見る世界遺産に登録されたことを記念して建てられたモニュメントがありました。
- モニュメントの前は一段上ったところが車道で、村営バスの停留所でした。 さらに車道を横切り石段を上ってU字の急カーブしてきた道を再び横切ることに。また、上ります。
- すると30番の観音石仏が現れました。その先で再び車道へ出るとバス停の標識があり、登山口の案内板と入山届のノートが置かれています。記入を済ませいよいよ峠へ。
- 続いて29番の観音石仏です。これから進む古道には、観音石仏が順を追って数を減らし下山口の八木尾で1番となるようで道案内に助かります。サカキが挿されていました。
- 木々を取り払った平らな場所に出ました。「天水田」跡と立て札があります。かつて水田があり、この先の茶屋の人が雨水を頼りに耕作していたと説明されていました。
- 天水田の持ち主の茶屋があったところ。「山口茶屋」跡の立て札があり石積みの跡が残っていますが、こんな所に?と思いましたが、文献に記されていると、説明されています。
- 観音堂に到着し、しばらく休憩です。平地が造られ広場になっています。この観音堂には三体の観音像が安置されているそうで、よく見えませんが、この先の無事をお願いしました。
- この観音堂の小さな広場には、このコースで唯一の水場があるところ、と案内されています。パイプで引かれた先から常時流れ落ちています。また、トイレも置かれていました。
- 東斜面に伐採されたところから熊野川がはるか下に見え、岸に沿った家々と遠く正面の山が低くなっているのに気づく。高く登ってきたのが分かります。道は急登が続きます。
- 顔をあげると薄暗い道の先に空が木々の間に見え、小さな広場へ出る。峠に達したことが分かりホットする。石造りの建造物が目に付き、何だろうと近づくと壊れた供養塔のようだ。
- 供養塔の側に17番の観音石仏があり、下りへ16を数えることになった。まわりは草が刈られ手入れされている。樹木の様相が変わり、杉林から幹が細い木になった。
- 果無峠の鞍部は縦走路の分岐でもあり、道標は四方へ案内が示されています。峠からすぐに南斜面への下りの道が斜めに伸びていました。一息入れ、下って行きます。
- 急な下り坂と尾根筋の緩やかな山道が交互に出てきて、切り開かれた南斜面の崖のような所から本宮方面の広々とした熊野川の川原が見えてきて一気に高度を下げる。
- 三十丁石が急坂に置かれていた。昔の距離換算で約3.3キロ弱になるそうで、どこからの距離を示すのか。他のコースの三浦口から十津川への間にも丁石があるようです。
- 七色分岐という下へ向かう道があり、ここを過ぎると開けた樹木の間から本宮町が望め、かなり下ってきたことが分かり励みになる。急坂がまだ続き足元を確認しながら下る。
- 木々の様子が変わり、杉林は木漏れ日を通す道になる。下界の騒音が微かに聞こえてきて下山口が近いと感じられ、すぐに舗装路が見えた。その先の民家の庭先を抜ける。
- 古廃屋の庭先を抜けると、石段の上から168号線に八木尾バス停、広い川原の熊野川の風景が広がる。右岸沿いに本宮方面へ伸びる国道に出て、ここで打ち止めにする。
- 世界遺産に登録された熊野古道の標識に小辺路への案内が道路わきに。その側に電話ボックスがありました。ここで、私の小辺路への思いは達成でき、楽しめたのでした。
熊野三山と熊野本宮大社…
「熊野」はどこ?紀伊半島の南部、和歌山県と三重県の南の地域を言っています。その地域にある信仰の三社、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を「熊野三山」と称しています。平安時代には、ここを巡って参詣すれば、極楽浄土へ行けるという思いが高まり、高貴な方から庶民まで、時代を下って今日まで、三山を詣でることが続いているのです。
熊野本宮大社:熊野神社の総本社という熊野本宮大社は、和歌山県田辺市本宮町にあります。かつて本宮大社は、熊野川の中洲にあったそうで、明治22年の大洪水で被害を受け、その2年後に現在の小高い所に「上四社」移し、その聖地の中洲には「大斎原(おおゆのはら)」という社殿に「中四社」・「下四社」が石祠として祀られていると説明されています。
全国各地に3000あるという熊野神社の総本社は、飛鳥時代の615年に今の中洲(大斎原)に置かれて以来、奈良・平安時代を通じ信仰を集めてきたのです。当時は、今の8倍もの広がりを持つ規模であったといいます。
熊野本宮大社の上四社の並び。写真右手から天照大神が祀られ、左へ主祭神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)へと社殿が並んでいる。
- 熊野本宮大社への石段。小高い丘へこの石段を158段上って行くと本殿があります。 祭主神へお仕えする八咫烏の絵柄が見られました。
- かつて明治の大洪水まで社殿があった大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる聖地。平成23年9月の紀伊半島大水害による被害も受ける。
熊野那智大社:那智の滝を神格化したことを起源とするといわれています。中辺路の参詣道が通じ「大門坂」を登り、那智大社へ那智の滝へと向ってます。山際に6つの社殿が配置され 西国巡礼の一番「青岸渡寺」が並んであり、ともに信仰を古から集めています。山の麓の「補陀洛山寺」ともに世界遺産に登録されています。 大社は、那智勝浦町にありJR那智勝浦駅からのバスで標高500mへ登り、終点で降り、467段の石段を上ります。
訪れた時は雨上がりの雨霧の中にうっすらと滝が遠望できました。三重塔と那智の滝は、熊野那智大社を紹介するメディアに出てくる絵柄です。
- 那智大社にお参りする人は絶えません。境内に樹齢約850年の大きな楠がありました。夫須美神(ふすみのかみ)が祀られています。
- 日本三大名瀑の那智の滝は、ご神体です。ここ飛瀧神社は古から畏敬を集めました。落差133mからの飛沫は有難い、と思います。
熊野速玉大社: 新宮市のJR新宮駅からも近い市街地にあります。熊野川の右岸、河口に近い位置です。この速玉大社の縁起によると、ここから西へ約1kmほどの所に神倉山と呼ばれるお山があり、このお山に神が降臨し、麓へ神倉神社を設け祀ったことに始るようです。
この神倉神社に祀られていた神を現在の地に移し、それ以来、神倉山の元宮に対し、ここを「新宮」と呼んだといわれています。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としています。
熊野速玉大社は、熊野川の河口に近い右岸に社殿が新たに設けられたことからいまの市の名称「新宮」になったようです。
(写真提供新宮市)